- ktogashi20201
対人恐怖症・社交不安障害と付き合って生きるー4
最終更新: 1月10日
私は生まれ育った街を出て、県内の国立大学に進みました。はじめての一人暮らしでしたが、全く不安はありませんでした。むしろ自分のことを全く知らない人たちの中で暮らす解放感を楽しんでいました。偶然が重なって人づきあいをするようになって、中学・高校時代の悩みなんてどこかに吹っ飛んで行き、症状を感じることはあまりありませんでした。尤も調子が悪いときがたまにあったとしても、何もせず自宅にいることができる環境でしたから、それは大した問題ではありませんでした。
それでも大学は講義は、いつも入り口から離れた一番後ろの席に座っていました。こうすると視線恐怖を感じることもないだろうと思い、実際に授業は私にとって苦痛ではなくなりました。真面目に授業に出た結果、3年までに卒論と教職以外の単位は殆どとっていました。
人づきあいにも大きな変化がありました。入学して暫くして研究室の新入生歓迎コンパがありました。人づきあいを避けてきた私は、行きたくなくて当初不参加を決め込んでいました。ところが、隣の部屋にたまたま研究室の先輩が住んでいて、半ば強制的にコンパに連れていかれたのです。最初は落ち着かず居心地が悪く、その場から逃げ出したい思いでいましたが、世話好きというかよくしゃべりかけてくる奴がいて、ほかの同級生を紹介してくれたりしました。人の話を聞いているうちに酒も手伝ってか段々そこにいることが苦痛でなくなり、自己紹介をする段になっても人を意識しながらも何とか大勢の前でしゃべっていたのです。
また、私はバイクが好きで大学に入るとすぐに400CCまでのバイクが乗れる免許をとり、中型のバイクに乗っていました。ある日たまたまバイクの調子が悪く、バイクを買った店に行ったときに、新歓で話した同級生がバイクを買いに来ていました。そこで彼のバイク仲間とのツーリングに誘われました。強引な誘いを断り切れずに週末に数人でツーリングに行くことなりました。何度か一緒にツーリングに行くうちにスモークのシールドのヘルメットを外している時も仲間といることが平気になっていきました。仲間から他のイベントや飲み会に誘われるようになり、自分の視線が人を嫌な気分にするとか、人が自分を嫌がっているとか、人といると緊張して何もできなくなる、というとらわれはいつの間にかになくなっていました。遊びに勉強に一生懸命でいると、私はもう対人恐怖症に悩まなくなっていたのです。
今考えると私が大学時代は症状から解放されていたのは、自分にあった環境を選べたこと、人の力を借りてでもその場に飛び込み、症状を感じた時でも自分はできるという小さな成功体験を積み重ねたこと、逃げたいときには無理をせず逃げてもよいとしたことだと思います。 ・・・大学編2に続く・・・ K. Togashi
